市内の古い建物が生活様式の変化によって改造され、建て替えられて失われていく中、気候・風土にあわせて作られた一般的な農家は、昔ながらの暮しを今日に伝える資料としてとても重要なものとなっています。
旧市倉家住宅は、かつてあきる野市五日市 566番地にあり、平成元年と平成9年に行った文化財調査では、江戸時代末期の構造・形式をよく残し、建築の質の高さと当時の生活様式を伝える歴史資料として高く評価されました。また、養蚕技術の変遷を伝える構造や改造跡があり、保存状態も極めて良好であったことから、平成10年9月3日に市指定有形文化財(建造物)となり、平成11年4月にあきる野市に寄贈されたものです。
入母屋(いりもや)造りの茅葺きで、上屋桁行きが7.5間、梁行き3間です。内部は、北側の土間部と南側の床上部に分かれ、土間部には石組みのナガシの上に板敷床が張り出し、北西隅にカマドが造られたダイドコロとなります。
床上部は、表にザシキ ・ デイ、裏にオカッテ ・ ヘヤ ・ オクを配しています。平面形式は、田の字型に各部屋が配置された四間型(よつまがた)ですが、裏のオカッテとヘヤが分かれることから変形四間型となり、江戸時代末期から明治時代にかけての一般的な農家の形態を残しています。
旧市倉家住宅は、かつてあきる野市五日市 566番地にあり、平成元年と平成9年に行った文化財調査では、江戸時代末期の構造・形式をよく残し、建築の質の高さと当時の生活様式を伝える歴史資料として高く評価されました。また、養蚕技術の変遷を伝える構造や改造跡があり、保存状態も極めて良好であったことから、平成10年9月3日に市指定有形文化財(建造物)となり、平成11年4月にあきる野市に寄贈されたものです。
入母屋(いりもや)造りの茅葺きで、上屋桁行きが7.5間、梁行き3間です。内部は、北側の土間部と南側の床上部に分かれ、土間部には石組みのナガシの上に板敷床が張り出し、北西隅にカマドが造られたダイドコロとなります。
床上部は、表にザシキ ・ デイ、裏にオカッテ ・ ヘヤ ・ オクを配しています。平面形式は、田の字型に各部屋が配置された四間型(よつまがた)ですが、裏のオカッテとヘヤが分かれることから変形四間型となり、江戸時代末期から明治時代にかけての一般的な農家の形態を残しています。