旧蓮見家住宅はさいたま市緑区井沼方、大宮台地の南端部、見沼の低地から入り込む谷に突き出た舌状台地上に所在していました。
井沼方は江戸中期享保年間に井澤弥惣兵衛為永によって干拓が行われた見沼田んぼの西に隣接する地域で、見沼田んぼの中には蓮見新田も所在します。
建物の建築年代を直接示すものはなく明らかではありませんが、構造手法から見て、江戸時代中期18世紀の前半と推定されています。桁行16.75メートル、梁間5.4メートルの寄棟造り、茅葺屋根の建物です。
内部は向かって右に間口の半分以上の土間を取り、土間に沿って梁間いっぱいに板の間のヘヤ、その上手にオクと、その裏側にナンドを配した、いわゆる三室広間型の間取りです。ヘヤには囲炉裏を設け、囲炉裏に接し土間側に板敷きの床を張り出していて、このヘヤ後方には戸棚を造りつけています。唯一の畳敷きのオクには座敷飾りとして床の間と仏壇、戸棚が設けられています。
他に、この建物の特徴として、南面するヘヤにはシシマド(格子窓)があり、柱は1間ごとに直接礎石の上に立つこと、大黒柱は細く杉材が使われている等があげられます。
小規模で、古い民家の特徴を良くそなえていおり、 現在さいたま市域に残されている民家では最も古いものと考えられます。
井沼方は江戸中期享保年間に井澤弥惣兵衛為永によって干拓が行われた見沼田んぼの西に隣接する地域で、見沼田んぼの中には蓮見新田も所在します。
建物の建築年代を直接示すものはなく明らかではありませんが、構造手法から見て、江戸時代中期18世紀の前半と推定されています。桁行16.75メートル、梁間5.4メートルの寄棟造り、茅葺屋根の建物です。
内部は向かって右に間口の半分以上の土間を取り、土間に沿って梁間いっぱいに板の間のヘヤ、その上手にオクと、その裏側にナンドを配した、いわゆる三室広間型の間取りです。ヘヤには囲炉裏を設け、囲炉裏に接し土間側に板敷きの床を張り出していて、このヘヤ後方には戸棚を造りつけています。唯一の畳敷きのオクには座敷飾りとして床の間と仏壇、戸棚が設けられています。
他に、この建物の特徴として、南面するヘヤにはシシマド(格子窓)があり、柱は1間ごとに直接礎石の上に立つこと、大黒柱は細く杉材が使われている等があげられます。
小規模で、古い民家の特徴を良くそなえていおり、 現在さいたま市域に残されている民家では最も古いものと考えられます。