株式会社黒須銀行は、道徳をもって勤倹貯蓄し恒産の基を作ろうという金融共済組織「黒須相助組合」を母体にして、明治33年(1900)2月、豊岡町大字黒須(現在の宮前町)に設立されました。資本金20万円、役員は頭取発智(ほっち)庄平、常務取締役繁田(はんだ)武平(翠軒(すいけん))など6人、顧問として日本経済界の重鎮渋沢栄一、創業者繁田満義らが就任しました。
「堅実主義と華客本位」を本旨とし、地域の基幹産業である製糸や機業などに融資して業績を伸ばし、入間郡内に所沢出張所、川越・入間川・松山の3支店を置きました。
零細な庶民の道徳の結晶である貯蓄を資本としていること、学校には有利な利子をつけ、利益の中から学校基本金や地元の公共事業に寄付をするなど資金を道徳的に運用していることなどにより、世間から「道徳銀行」と呼ばれました。「道徳経済合一説」を唱えた渋沢栄一は、このことを喜び、「道徳銀行」と揮毫して贈っています。
一時は県下第3位の銀行に成長しましたが、大正11年、武州銀行に合併となりました。現在の埼玉りそな銀行の源流の一つです。
現存する土蔵造りの建物は、明治42年に黒須銀行本店営業所として建てられ、昭和35年まで埼玉銀行豊岡支店として使われていました。昭和40年に「郷土民芸館」となり、その後土地建物は市に寄贈されました。平成6年に博物館が開館するのに合わせて閉館し、市指定文化財である建物は博物館へ移築する予定でしたが、現在は現地で修理し、西洋館など豊岡地区に多い歴史的な建物と一体での活用をはかっていく方針です。
(入間市ホームページより)
「堅実主義と華客本位」を本旨とし、地域の基幹産業である製糸や機業などに融資して業績を伸ばし、入間郡内に所沢出張所、川越・入間川・松山の3支店を置きました。
零細な庶民の道徳の結晶である貯蓄を資本としていること、学校には有利な利子をつけ、利益の中から学校基本金や地元の公共事業に寄付をするなど資金を道徳的に運用していることなどにより、世間から「道徳銀行」と呼ばれました。「道徳経済合一説」を唱えた渋沢栄一は、このことを喜び、「道徳銀行」と揮毫して贈っています。
一時は県下第3位の銀行に成長しましたが、大正11年、武州銀行に合併となりました。現在の埼玉りそな銀行の源流の一つです。
現存する土蔵造りの建物は、明治42年に黒須銀行本店営業所として建てられ、昭和35年まで埼玉銀行豊岡支店として使われていました。昭和40年に「郷土民芸館」となり、その後土地建物は市に寄贈されました。平成6年に博物館が開館するのに合わせて閉館し、市指定文化財である建物は博物館へ移築する予定でしたが、現在は現地で修理し、西洋館など豊岡地区に多い歴史的な建物と一体での活用をはかっていく方針です。
(入間市ホームページより)