吉田家住宅は、享保6年(1721)に建築された、実年代のわかる県内最古の民家です。平成元年(1988)に国の重要文化財建造物に指定されました。建物の規模は、桁行21.8メートル、梁間10.5メートルを測ります。
茅葺、入母屋造りの大きな民家で、間取りは「三間広間型」と呼ばれる奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものです。板間にはいろりが切られ、土間の中央やや北側に大きな一口のかまどがあります。南側の大戸脇には風呂場があり、北側には流しが造られています。
土間の東半分はうまやです。北東部には浅い掘り込みがあり、ここに馬もしくは牛が飼われていました。南側には腰窓があり、ある時期には紙を漉いていました。南側から西側にかけて縁側が巡り、北西部には便所があります。座敷の上には2階が造られています。
昭和59年(1984)の調査で柱に貼り付けてあった棟札が見つかりました。ここには「享保六丑歳霜月吉祥日」と記され、この民家を建設した時の祈祷札であることがわかりました。
長い年月が経過したことで、建物の傷みが著しかったことから、平成8年度から3か年かけて、国庫補助事業として建物の全面解体修理工事が行われました。また、同時に初期消火設備や自火報知器の設置工事などの防災施設事業、西側斜面の擁壁工事などの環境保全事業も行われました。
説明文:小川町公式ページより
茅葺、入母屋造りの大きな民家で、間取りは「三間広間型」と呼ばれる奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものです。板間にはいろりが切られ、土間の中央やや北側に大きな一口のかまどがあります。南側の大戸脇には風呂場があり、北側には流しが造られています。
土間の東半分はうまやです。北東部には浅い掘り込みがあり、ここに馬もしくは牛が飼われていました。南側には腰窓があり、ある時期には紙を漉いていました。南側から西側にかけて縁側が巡り、北西部には便所があります。座敷の上には2階が造られています。
昭和59年(1984)の調査で柱に貼り付けてあった棟札が見つかりました。ここには「享保六丑歳霜月吉祥日」と記され、この民家を建設した時の祈祷札であることがわかりました。
長い年月が経過したことで、建物の傷みが著しかったことから、平成8年度から3か年かけて、国庫補助事業として建物の全面解体修理工事が行われました。また、同時に初期消火設備や自火報知器の設置工事などの防災施設事業、西側斜面の擁壁工事などの環境保全事業も行われました。
説明文:小川町公式ページより