この建築物は、浦和市農業協同組合三室支所(現さいたま農業協同組合三室支店)において、政府指定米穀倉庫として使用されていたものです。
当初は、大正8年に栃木県小山市内の干瓢問屋の倉庫として建築され、昭和31年に浦和市農業組合三室支所に移築され使用されてきました。これを旧浦和市が寄贈を受け、平成6年度に現在の場所に移築復原を行い、平成9年7月、国の登録有形文化財となりました。
この建築物は、大谷石土蔵造りで、間口(桁行)27.27メートル、奥行き(梁間)7.27メートル、高さ9.0メートルです。トラス小屋組の寄棟構造で、屋根は瓦葺きとなっています。
内部は中央で仕切られ二部屋となり、それぞれに均整の取れたアーチ形の入り口が設けられています。
大谷石造りの倉庫は「石蔵(いしぐら)」とも呼ばれ、市内では農業協同組合の倉庫として数棟が知られています。この倉庫は年代も古く、和洋折衷のデザインを持つプロポーションの良い建物です。
現在は浦和くらしの博物館の展示棟として常設展示やミニ展示開催に使用するとともに、資料等の収蔵棟として使用しています。
当初は、大正8年に栃木県小山市内の干瓢問屋の倉庫として建築され、昭和31年に浦和市農業組合三室支所に移築され使用されてきました。これを旧浦和市が寄贈を受け、平成6年度に現在の場所に移築復原を行い、平成9年7月、国の登録有形文化財となりました。
この建築物は、大谷石土蔵造りで、間口(桁行)27.27メートル、奥行き(梁間)7.27メートル、高さ9.0メートルです。トラス小屋組の寄棟構造で、屋根は瓦葺きとなっています。
内部は中央で仕切られ二部屋となり、それぞれに均整の取れたアーチ形の入り口が設けられています。
大谷石造りの倉庫は「石蔵(いしぐら)」とも呼ばれ、市内では農業協同組合の倉庫として数棟が知られています。この倉庫は年代も古く、和洋折衷のデザインを持つプロポーションの良い建物です。
現在は浦和くらしの博物館の展示棟として常設展示やミニ展示開催に使用するとともに、資料等の収蔵棟として使用しています。