河村 文鳳

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河村 文鳳(かわむら ぶんぽう、安永8年(1779年) - 文政4年(1821年))は、江戸時代後期の岸派の絵師。名は亀。字を駿声、俊声、五游。号に馬声、有毛、首陽館、竹裏館、白竜堂など。山城国(現・京都府)出身。優れた人物画や山水画で知られた。

岸駒に絵を学び、寛政8年(1797年)の東山新書画展観への出品が確認されており、岸駒の弟子の中でも古参格と考えられる。のちには各派の絵を学んで独自の画風を確立し、歌川国芳、歌川国貞、渓斎英泉など後代の浮世絵師等にも大きな影響を与えた。俳句にも秀でており上田秋成、与謝蕪村等と交遊し、俳画も好んで描いた。生前は有力絵師の一人でだったようで、一時は岸駒に迫るほど人気を得たという。実際『文鳳画譜』『帝都雅景一覧』『文鳳漢画』『文鳳山水遺稿』など、文鳳原画による画譜類が10種類以上出版されているが、なぜか現存作品は極めて少ない。速い運筆による人物画を得意とし、『竹田荘師友画録』にも「人物を画いて、運筆縦横、手に随って立ちどころに成る」とその能画ぶりが記されている。一方山水画では、濃い墨の太い輪郭線を用いる独特の作風を示している。

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