外観のみ公開
この住宅は江戸時代後期の建築で、間口8間(約14.5メートル)、奥行5間(約9.1メートル)、屋根は寄棟造の茅葺です。もと花畑二丁目にあった和井田家邸で、伝えによれば安永2年(1773)頃に生まれた四代目当主の代に建てられたといいます。
間取りは典型的な田の字型の古民家で、正面右手の大戸から入ると「ドマ」があります。「ドマ」の手前の一画には、籾や米を貯えた「コメビツ」、奥には「カマド」を備えた台所である「カッテ」、さらにその奥には「ミソベヤ」があり、左手には家族の居間である「イタノマ」、寝室に使われた「ヘヤ」、平書院と床の間を備えた「ザシキ」や「オク」と呼ばれる部屋などがあります。「イタノマ」と「ヘヤ」が根太天井(ねだてんじょう)であるのに対し、「ザシキ」と「オク」は棹縁天井(さおぶち)であり、二部屋の間には、欄間(らんま)も設けられています。「イタノマ」と「ヘヤ」は日常生活の場であり、「ザシキ」と「オク」は格式を備えた空間となっています。天井裏には、「ドマ」から梯子で昇り降りし、物置として使用されていました。
安政大地震(安政2年・1855)を経てきたというこの家屋は、台所をはじめ、南側瓦葺きの庇、西側廊下と便所など、増改築の跡をうかがうことができます。東側壁面は、竹を細かく割って土真壁を覆う「しぎ竹」という工夫も見られます。また「ドマ」や軒先に敷き詰められた煉瓦は、明治時代の花又帝国煉瓦の工場で作られた製品です。
この住宅は貴重な江戸時代の農家建築として区に寄贈され、昭和58年12月に足立区指定有形民俗文化財となりました。翌年にかけて足立区都市農業公園に移築保存され、一般公開されています。
この住宅は江戸時代後期の建築で、間口8間(約14.5メートル)、奥行5間(約9.1メートル)、屋根は寄棟造の茅葺です。もと花畑二丁目にあった和井田家邸で、伝えによれば安永2年(1773)頃に生まれた四代目当主の代に建てられたといいます。
間取りは典型的な田の字型の古民家で、正面右手の大戸から入ると「ドマ」があります。「ドマ」の手前の一画には、籾や米を貯えた「コメビツ」、奥には「カマド」を備えた台所である「カッテ」、さらにその奥には「ミソベヤ」があり、左手には家族の居間である「イタノマ」、寝室に使われた「ヘヤ」、平書院と床の間を備えた「ザシキ」や「オク」と呼ばれる部屋などがあります。「イタノマ」と「ヘヤ」が根太天井(ねだてんじょう)であるのに対し、「ザシキ」と「オク」は棹縁天井(さおぶち)であり、二部屋の間には、欄間(らんま)も設けられています。「イタノマ」と「ヘヤ」は日常生活の場であり、「ザシキ」と「オク」は格式を備えた空間となっています。天井裏には、「ドマ」から梯子で昇り降りし、物置として使用されていました。
安政大地震(安政2年・1855)を経てきたというこの家屋は、台所をはじめ、南側瓦葺きの庇、西側廊下と便所など、増改築の跡をうかがうことができます。東側壁面は、竹を細かく割って土真壁を覆う「しぎ竹」という工夫も見られます。また「ドマ」や軒先に敷き詰められた煉瓦は、明治時代の花又帝国煉瓦の工場で作られた製品です。
この住宅は貴重な江戸時代の農家建築として区に寄贈され、昭和58年12月に足立区指定有形民俗文化財となりました。翌年にかけて足立区都市農業公園に移築保存され、一般公開されています。
古民家がある足立区都市農業公園はのどかな場所で田園もあり、田舎の雰囲気を味わうことができます。